抗すべきなのは、忘却や植民地化だけではなくて、透明化とでもいうべき状態への感覚のなさなのかもしれない。

わたしたちはわたしたちを消費者として透明化しようとする。

モダニズムの引き継いだロマン主義の極北はここにあるのかもしれない。

自らはしごを外した純粋認識は炎にとりまかれても無感覚だ。

すべてを収奪しつくすブラックホール。わたし自身への侵入者としてのわたし。

蝕まれたわたしは怒りを吐き散らす/呑みこむ。 

わたしたちは純粋認識をインストールされたバイオマシーンなのかもしれない。

 

斜面を降りるとき、乾いた土に滑って手をついて、折れた植物の茎で掌を切った。

少し皮がめくれて血がでた。

すぐに水で洗って絆創膏で止血したのだけれど、ほんの擦り傷で浅いとはいえ数日でみるみる破れが塞がって皮が貼りついて痕跡が消えていくさまは不気味だった。

「培養」という言葉を想起した。

 

過去はつかのまメディアで消尽されるコンテンツでしかなくなる。コミットというよりアクセスがない。

あまりに透明だから滞留や汚濁はうけつけない。プリズムに映す徴の純度。

圏外では自他ともに存在しない。日常でもヒステリーでもない。

だから突然に身体が全面化するとき、情報の先へ認識を求める。検索する。

みつからないのだ。この身体のフォルムが、名前が。

 

いつも鏡のほうに本質がある。鏡はメガネを通して観ている。

鏡に映るものから像をゲシュタルトできるのはメガネのおかげ。 

 

個体の同一性と種としての同一性がある。

新書の哲学史を、ヒュームのあたりからフォイエルバッハまでななめ読みでおさらいした。

いろいろあってもろもろ類的本質としたとき、神をまなざしまなざされる関係を喪失した。

人間を創造した。これはゴーレム(想像としての身体)

あとにはガニングが紹介するようなまなざしのサーカスを基底としたわたしたちの

生活でもヒステリーでもない営為が残る。

 

先の戦争もなにもかも終わっていないし、滞留してる。(終わらせた者のみが修正できる。) 

オルタナティブな小道。

(不可視な領野がしっかりばっちり蠢いているということ。広々とした夜の昏さ。) 

 

「それ」を見ようとすればするほど、表象は薄っぺらくなっていく。限りなく。

 

同一性と種の織物。まだらな模様の配置はいびつだ。

みなまなざしの先を求めて失っている。とてもせつない。

崖から我先にと落下するネズミの群れのようなまなざしの群れ。

 

経験から始めて、滞留するためには、眼差しを憩うには。一服するには。

喫茶としての、一杯飲み屋としての、絵画が必要だ。

 

ほとんどの美術館にあるものが、対象ではなく単なるメガネになっている恐れがある。

産業化されたまなざしの陳列館になっていないか。

産業化された言説の言い訳にされていないか。

(”政治の産業化”への加担。)  

 

黙って絵画を展示すべきだ。

黙らす絵画を展示すべきだ。