湖の裏側は車道を渡す橋のかかる河口へと収縮していて、傍らの広場はバス停になっている。観光バスなども何台か駐車できるような広い広場で、視野を遮る丘から伸びる塀に挟まれた大きな山門が構えている。

そこは山門の外にあたるから裏側と書いた。

帰りにバスを待っているあいだ、その湖畔べりで眺めていると、浅瀬に小鳥が来て小さな歩幅でせわしなく行き来しながらきれいな声でしきりに囀り続けた。

妻と見ていて、彼女の解釈では「きれいな水だ」「きれいな水だ」と喜ぶ歓声のようだ。アイヌ民謡集など読んでいると、神様はひとつの感情で充足して満たされているように思う。ひとつの喜びやかなしみに満たされて顕現することが神であるかのように。それはヒトのいない感情。(ヒトと自然との)矛盾は徴、徴がなければ差異は生まれない。差異がなければ外延もないしまなざしもない。そうした自然の感情が先行して後からヒトが感じる。鳥の喜びのおかげで。

 

バスの途中の停留所で念仏車というバス停があった。ここの車は自動車のことではもちろんない。だんじりのようなものだろうか、と想像したけれどそのことよりも「くるま」はいつから自動車のことを指すようになったのだろうと思った。車ははじめ風車や車輪やそのようなもののことだったのではないのだろうか。それがいつのまにか自動車を指すようになっている。「電車でなくて“くるま”で行った。」などと。くるまはうわがきされている。

 

雲の上で「野生の思考」の続きを読んだ。飛行機の上で。

空港に近づき高度が下がると真綿のような雲を通過して、眼下に市街地が広がった。はじめ記号の欠片のようだった模様がやがてひとつひとつの輪郭を明確にして、具体的なマンションやら家屋やらに焦点を結ぶようになって・・・と思っていたら不意打ちに衝撃を喰らって、飛行機は着陸したのだった。

 

最後には、わたしも石を積んでいた。妻は具体的な誰か(猫含む)を思い浮かべたそうだけれど、わたしはただ気になる石を拾って積んだ。なんだか焦点を結ばないのだった。ただ2~3の石を拾って積み上げた。硫黄で黄色い石。黒ずんだ石。石灰のように白い石。賽銭の小銭の金属と反応して青緑色した石。

 

硫黄の匂いに包まれ浸されて意識を飛ばした。音は防音室のように吸収されていくようだった。静寂が満ちていて声は非現実的な響きがした。

山に囲まれた辺り一帯に丘が連なっていてその丘の窪地にもその上にも丘の連なりの一定したスケールを撹乱するようにして石が積まれていた。そうしていないところはないくらいにあちらこちらで。カルデラだろうか(前知識なしで行ったのでわからない。まだ調べていない。)露出した岩が剥き出しになって、けれどちょっと溶けだしているようでもあって、それを台座にして乗せられる限りの大小の石が乗せられ積み上げられている。

足もとでぐつぐつ煮えるような音がして、よく見ると、黄色く色づいた地面の穴が泡を吐いている。煙が出ている。ほうぼうでまだらに順繰りに熱を持ったり冷めたりを繰り返しているようで、それらの地帯は黄色かったり真白だったり薄桃、薄紫だったりする。一方で岩は冷えたマグマのようなどす黒い色をしている。あらゆるものが定まらず落ち着きがない。スケールが定まらない。小さかったり大きかったり黄色かったり薄紫っぽかったり(ほんのり補色関係)、質感が明確だったりそうでなかったり、煙が出て熱そうだったり冷めて黒ずんでいたり、人が積んだ石の造形があるけれどもともとの大地や岩のありかたが自然の造形をなしている。それらはまた、溶けだしている。複数の要素を抱えながら別々に別々のものと混ざり合っている。賽銭の金属が硫黄と反応して濃い青緑色が溶けだしている。何事かがいろいろなスパンで起きて継続している。それらの間を縫うようにして歩く。硫黄色の水が溢れ流れ出していくすじかの縞を成している。

そうした一帯を抜けると、白い砂浜に出て急に視界が開ける。砂はよく見るとガラス質をした微細な粒。

湖は靄がかかって、囲む山々は雲を頂き、辺り一面が淡い陽光に包まれていた。繭に包まれていた。質感の抜け落ちたイメージ。うかつにも自分が死ぬときはこのような景色を思い浮かべるのだろうかなどと考えてしまいそう。それくらい浮世離れした景色だった。妙に何かがリセットされるような。

水は恐ろしく澄んで、硫黄混じりのエメラルドに近い色をしている。水中でもあちこちから大地は泡を吐いていて、特に熱を帯びているらしい遠い岸辺からは絶えず湯気が出ている。

耳をすますと浅瀬で泡を吹く水の跳ねる僅かな音が止まず聴こえる。

わたしたちはしゃがみこんで呆然とした。疲れていたのもあったけれど。

 

大きく考えるとこれはひとつの借景を成している。極端には竜安寺石庭と同じだ。しかし体験する自身はそんな演出は忘れてしまう。忘れたいという欲望もあるのだろう。それが無理なく叶えられ受け入れてしまう。湖は海と違って閉じている。わたしたちのエゴの照応が容易いのか(そうであれば還さなければ。もしくは分かつことは可能だろうか。)。

境内に戻り、備えられた小屋で天然温泉に浸かることができた。心身ともに硫黄に浸かったことになる。

帰りのバスの録音テープのひび割れたアナウンスをよくよく聴くと、最澄のお弟子さんが開山したという。辺りの地名はアイヌ語由来だというから、そのあたりの経緯が気になる。もともとが聖なる一帯だったのではないか。

けれど、とても都合がよいのだろうけれど、いち観光客としては、お寺は、霊媒による口寄せなどの民間信仰や故人を偲ぶ個人のありかたとほどよく距離を置きながら共存しつつこの場を守ってきたののではないかとの憶測をいったんは持った。

雲が晴れると、山のひとつは鉄塔を山頂に乗せており、駐車場側からは向こうの峰に自衛隊の立方体したレーダーが見えた。

レーダーは歌うだろうか。

 

書割の峰の裏側は海。

レーダーまではとても辿りつけなかったけれど、ちょうど前日に、海沿いを歩いて麓からススキ茫々とした乾いたスキー場の斜面を少し登ったのだった。砂嘴(sand spit)が見えた。自衛艦が2隻停泊していてそこで漁師町は途切れた。上空から見ると基地は自然が手つかずで残っているかのように見える。

海は明治からの軍港で、石造りの官舎が残っていて資料館などになっている。往時は黎明期の海軍のえらい軍人さんたちがそこいらを闊歩していたのだろうか。ウィキペディアによると1902年に配備とある(日露戦争は1904年~1905年)。

また、付近は水源地と呼ばれる水道施設があって、上記の資料館などの旧海軍遺構を利用した施設周辺と連続した公園として近年新たに整備されている。貯水池の堤防は当時(ウィキペディアによると1910年に建設とある。)の我が国を代表する建築デザイナーによって設計され、今は重要文化財になっている。張り巡らされた遊歩道を巡って登山口まで至る。

木陰にカモシカがいた。

 

レーダーは歌うだろうか。歌うとしたらどのような歌だろうか。

 

カモシカはうずくまって、いくすじかに分岐しては収縮する細い遊歩道のひとつを遮っていた。

木陰の暗がりからこちらを見た。

 

歌は、硫黄の穴から聴こえるだろうか。泡や煙を吐く。レーダーの囀り。

 

わたしはくるまで行く。

くるまは道を敷く。うわがきする。

アスファルトで塞がれるわたしの毛穴。

運ばれるわたしは唖然と声が出ない。

 

 

sonny sharrok「princess sonata」を繰り返し聴いてる。