例えばわたしたちなどいなくて

自然と機械しかないとすれば

つまりすべてのものからわたしたちの営為の意図や企画にかんする

自意識を差っ引くなら

 

自然と記号と機械しかないとすれば

 

そうしてそれを後でわたしたちが眺めることができるとすれば

(眼差しがそれに耐えうるとすれば) 

そこにはやはりわたしたちの営為の意図や企画の痕跡を見出すだろう。

(耐えるために、それを痕跡と見做し、見出すだろう。)

ただし、思ってたのとは違うかたちで。