完成が焦燥の結果なのだとしたら

時間へ放逸された我々こそ焦燥の結果だと思う。

それは形象化への情熱の結果でもある。

神に意識があるとすればそれはすべてで

その無意識があるとすれば同じくそのすべてでもあるだろう。

神に情熱はあるのかな。