「優しい暴力の時代」チョン・イヒョン 訳/斎藤真理子

「情報環世界」伊藤亜紗 ドミニク・チェン 他

 

子どもの環世界に「わからない」はないが

大人の環世界には「わからない」がある。

別の環世界。

同じく神話の世界ではこの意味での「わからない」はない。

一神教の神にとっての「わからない」は?

 

わからなさが持続する状態は、絵画など遅延の状態。 

セザンヌ。予測不能性(出来事)と予測可能性との淡い。

出来事はどこで起きるか?

 

出来事が先か主体(環世界)が先か?

主体を想定して初めて環世界の翻訳可能性を語り得る。

主体、自由、意志。

 

主体であることへの強迫観念が、フィルターバブル生む。

アイデンティティへの切迫した執着。

 

出来事のトポス

ヴァレラの「縁起」面白い。 

 

「共話」面白い。

小説では、「岩」という亀や猫のぬいぐるみ、  

母子やその子の共振、閾、言葉の閾、

つまり「わからなさ」が「縁起」して物語が生成(遅延)している。

 

「感性的なものの分有」ランシエール

環世界も虚構のひとつ。

出来事のトポスをアンフラマンスのヴェールで覆う。

そうした距離の技法が求められる。

そうした距離の技法についての語り方。

距離があるから

皆それぞれに皆それぞれ自身に対する距離があるから

皆お互いに保つことができる。

自己という異郷。

 

小説。「コンギ(空気)」という朝鮮の遊び。

小石と手(と空気)でもって、時空を遊ぶ。

ここでは「環世界」も「わかる」も「わからない」もない。

「主体」もない。

「縁起」だけがある、と言えるかな。虚構のひとつの技法と

言ってしまうと味気ないか。

「空気」のところはあまりに美しくて、イメージをじっくり

反芻するために本を閉じてしまった。

降りる駅まで、車窓からの風景を眺めて過ごした。 

 

(「情報環世界」に戻って)見るを持たない方のメモの話。

あのメモとドローイングは、「メモ」「ドローイング」とも

「主体」とも「環世界」とも言えないのでは?

なにとも言えない。

ただそれがある。そうしているそれがある。

「縁起」してる。?。

それを読んだ私がいる。

それを知る。

翻訳されて誤読している。

話は飛ぶけれど、カーヴァー「大聖堂」を思い出した。

ベタかな。