しばらく読書の記録を怠っていた。

なんだか最近だるい。

とりあえず思い出すまま。

ジム・トンプスンの短編集をつまみ読み。アル中だけれど凄腕の職人て感じ。鉋持つと手の震えがピタッと止まる。「この世界、そして花火」よかった。編集者によるあとがきがよかった。

「無意識の構造」マンダラは嫌い。でもこの構図でとりあえず納得しておいてしまいたいような誘惑がある。この歳になると。どんな茶番でも(ヘッセ)。口直しに無人島読もう。

「企業・市場・法」難しい。解説を先に読んで、次に「経済学における灯台」を読んでる。

 

コレット「軍帽」

もしかするとベストかも。作られものの持つ技巧や素材の痕跡がきれいさっぱり感じられない。性差によるのかな。わからない。白石かずこは香水の匂いと言っていたけれど。僕はもっと読むことそのものの行為のなかで関心した。酔っていないとは言い切れないけれど。でも誰が言えるのか。

 

週末、集中して鎮座dopenessのlive動画(コロナ前のもの)を観た。どこか、東京から8時間と言っていたけど、坊中小学校というところの体育館。組まれた和太鼓の前でのセッションがとてもすてきだった。「なごみの湯」のこと。それをはじめに観て。

MCバトルのときもそうだけれど、イベントの演奏でも、インタビューや旭川のスナックを回っているときも、自分を空にするような気づかいが言葉に乗り移って反映されているように感じた。「内容がない」とは周囲に指摘されたり自分でもスタイルとして自覚しているようだけれど、少し「芸術のための芸術」に似ている。

「言ってるのか言わされてるのか・・・」

言葉の発生の前に自分は空になっていて、グルーヴと旋律がいつのまにか跡に残っている。

それでは言葉はどこから来ているのか。「素朴」というととても語弊があるけれど、どこでもいまそこでの。たぶん。方法として主体性を予め排している。けれどそれはイタコや霊媒としてではなく、もっと即物的なもの。

ここでW・カーロス・Wなどといったらそのすじの人たち双方からぼこぼこにされるかな。

ごめん。おいしかった。とても冷たくて・・・みたいな。

 

グルーヴと旋律の霊媒と言ったほうがよいのかもしれない。言葉でなく。いまわのきわや生誕や、世界の終わりや始まりや、いつどこに居合わせたとしても、グルーヴと旋律をこそ残す。