「喩え」が無効になった。すべてのコトバがリアルポリティックスに結びつく。・・・「ウイルス言語」は虚実皮膜の境界膜を破ったのではないか。・・・」

磯崎 新 『鼎制(一)』

 

 

『「芸術の外部となるような現実の世界など存在しない。存在するのは、共通の感覚可能な織物の中の諸々の折り目や折り返しである。そこでは、〈美学の政治〉と〈政治の美学〉が結合し、そして分離する。現実的なものは、それ自体として存在するわけではない。我々の現実として、すなわちわれわれの知覚の、思考の、介入の対象として与えられるものの諸々の布置が存在するのである。現実的なものとは、つねにある虚構fictionの、すなわちある空間の構築の対象なのであり、その空間の中では、〔われわれに〕見えるもの、言いうるもの、為しうるものが縫い合わされているのである。」』

ジャック・ランシエール『解放された観客』より、星野太『ブリオー×ランシエール論争を読む』に引用されていた一文

 

 

 

上手く言えないけれど、

この「縫い合わし」、「虚実皮膜」の縫い合わしがほどけた。

充満する陳腐さ(アイヒマンの凡庸さ)にどのように耐えるのか。回避するのか。

文学の、物語のたたかい、といった感じがなんとなく、する。

竜宮は浦島太郎にとっての例外状態だった。

わたしたちはいずれ玉手箱を開けるだろうか。

 

 

堀口大學訳のアポリネール詩集を読んでいる。

「ケ・ヴェロ・ヴェ」も通勤電車で読んだ。