くすぐったくて本から目を逸らすと猫に足首をそっとその小さな鼻先でつつかれていた。なんだかうれしくて顎を撫でると気持ちよさそうにしてくれる。なんとなく手をやったまま文章へ戻るといつのまにか猫はいなくなってどこかを周遊してまた戻ってくる。

そうして本を読みながら猫の相手をする。慣れてくると気配を感じとれるようになって片方の手は本を支えて読みながらもう片方で本の影に隠れた見えない猫を撫でている。

 

無理をすれば日帰りできないこともないのだけれど前泊した。こぢんまりとした老舗旅館。漆喰の壁で敷地は路地から仕切られていて、門を入ると軒に囲まれた中庭がミクロコスモスを成している。ひょろりと伸びた松の枝の下、紫陽花が頬を掠める。数歩歩いてガラリと戸を開けて入る(「お邪魔します」と呟いてしまう)。玄関の真上の2階の6畳間。トイレ風呂共同。廊下は少し傾いでいて歩くと軋む音がする。照明がぼんやりとしているから暗がりがこびりついたように廊下のつきあたりまで広がっていて建物じたいが息をひそめている。下の食堂の時計からぼーんぼーんと湖底からみたいににぶい鐘の音がする。

 

朝食の後、布団に仰向けになって微睡んでいたら庭を通る石畳の小道を掃く音がしてそれがなんだかがらんどうの自身の中を払い清めてもらっているようにも感じて全く都合の良い話ではあるけれど勝手にそう思ってよい気分でうとうとした。

建具もすべて木のままで年月に晒されてなんとも柔らかい丸みを帯びていてそうしているひとつの窓の格子に指を引っ掛けて開ける感触や、砂利のように凸凹したつくりの古い磨りガラスから差す光や、吊られたすだれの影の具合や、驟雨に濡れた鮮やかな草木の緑やらがやたら心地よかった。

 

バスに揺られているうち雨は上がって、日差しの強まる中さらに国道沿いを1時間弱歩いた。歩道は苔むして雑草が繁茂して伸び放題なのでところどころ車道を歩きながらぶらぶらと、はじめはのんびり歩けていた。Googlemapのstreetviewではそのまま問題なく歩いて行けそうだったのを楽観して最後までチェックしていなかった。終盤、歩道のない(白線だけの)峠をうねうねと下り、片やガードレールの下は崖っぷち片や脇腹を車がビュンビュンかすめるので怖いな、と少し思った。

管区への移住を呼びかける自治体の看板は巨大で、見上げた「・・・○○へ」の文字一つ分が私の頭一つ分くらいあったように思える。まだ真新しい白くひろがる面の上方からうっすらとヴェールのようにして岩絵の具を垂らしたようにして苔がまとわりついていた。 

国道から逸れて集落に入ると目印があってしばらく行くと清流の小川が流れていて彼岸に民家が見えた。橋を渡るとその家の辺りは陽だまりになって明るかった。

まるでいい加減だったのに開館ぴったりに到着したようで、司書のかたは訪問者を迎え入れてすぐ振り向くなりてきぱきと上方の壁時計の時刻を合わせてねじを巻いた。いや、ねじを巻いてから時刻を合わせたのだったかな?

11:00なり。

 

あとで訊ねるとコミュニティバスなるものがあって指定された時間に予約を入れると利用できるとのこと。帰り都合のよい時間まで3時間もない。

歩き疲れと空腹でふらふらだったけれども食事を諦め、限られた滞在をひたすら書架見学と読書に過ごした。

室内はほどよく明るくて冷涼。本の並びは穏やかで優しい。旅人となって憩う。

朦朧と書架を一巡して手に取ったのは次の3冊。

海野弘「空間のフォークロア

大塚久雄「生活の貧しさと心の貧しさ」

・シャーウッド・アンダーソン詩集

 

またいつか再び辿りつくことがあれば、今度はエトルリアの棚の本を読みたい。

 

 

 

 

 

 

家人はいやがるのでこっそりするのだけれど、

何かを飲んだあとのコップに別のものを入れて飲むのが好きだ。

洗うのがめんどくさいのもあるけれど。 

ビールのあとにコーヒーとか。

コーヒーのあとにオレンジジュースとか。

オレンジジュースのあとに牛乳とか。

牛乳のあとに炭酸水とか。

少し味が混じる。

 

 

 

 

ハンディカムは手振れを抑えるつもりはないらしい。

教習所のコース?

いや、ローラースケートコースだ。どこかの河川敷。児童向けの。

音はない。

雑草だらけ。

誰もいない。

雨天。 

突然猛烈にコーナーを回ってくる全裸のスケート男。

カメラは振り向きざま通り過ぎる男の背中を追う。ブレまくりでもそれが血だらけであることは分かる。

向こうのコーナーを回ってスピードはどんどんあがっていく。どんどんどんどん。

ミニチュアのようなコースをぐるぐる回る。ぐるぐるぐるぐる。いつか振り切れそうだ。

やがて限界が来て、操り人形のように嬉々として弾き飛ばされアスファルトに叩きつけられる。

襤褸屑のように転がる。

裸の身体を防護するものは何もない。

肉の塊は動かない。動かない。動かない。動かない。動かない。

雨は降る。川は流れてる。 

やがてゆっくりと起き上がる。戦場で倒れた英雄かなにかのようにだ。

そうしておもむろにまたコースに戻る。繰り返し。

はじめはゆったりと。惰性と慣性。

どんどんスピードはあがっていく。

どんどんどんどん。